眼鏡越しの風景EP79-牛乳-
- 2022/9/24
- yukkoのお眼鏡
「カタンッ」夜明けの住宅街に小さく音が響く。
夢の中か現実か、子供の頃、毎週火・木・土曜日は牛乳が配達される日だった。夏は2本ずつ、それ以外の季節は1本ずつ、軽トラックがブブーンと止まると、家の玄関前に置かれた年季の入った黄色の木箱に1Lの牛乳パック。サンタクロースばりに、その日の朝が来ると、必ず木箱に冷えた牛乳パックが入っている。いったいどんな人が届けに来るのか、その正体を知りたい衝動にかられた。
何度か車の過ぎ去る音で目が覚め、牛乳サンタを見る事は叶わなかったが、何度目かのチャレンジで、なんとかその日は眠い目をこすりながら軽トラックの到着前に目覚めることが出来た。私は布団から畳の上をほふく前進、うつぶせのままカーテンと床の細い隙間に潜み、目だけをパチクリさせながら、玄関先の門を微動だにせず、じっと見ていた。正面にお店のロゴが入った、くたびれた白いキャップかぶる体の大きなおじさんが、手際よく近所の数軒と我が家に牛乳を入れていく。数分間のおじさんの仕事っぷりを、2階の窓から静かに見ていた。
寒い冬の日も。暑くなりそうな夏の日も。
同じ曜日の、同じ時間。
「ブブ-ン」軽トラックのエンジン音。
「バンッ」トラックのドアの開閉音。
「カタンッ」牛乳箱の蓋の音。
「ズズッ」おじさんの白いズック靴がアスファルトに擦れる音。
それは夢見心地、微かにいつも聞いていた朝の音だった。
私の家の冷蔵庫にある飲み物といえば、おじさんが配達してくれる牛乳のみ。友達のお家で、冷えた麦茶やジュースを見た時は飲料の選択肢の多さにかなり驚いたものだ。それもあり、我が家では水代わりに牛乳を毎日飲んでいた私は牛乳が大好きだった。
とある週末。住宅地にそびえ立つ大きな前方後円墳を父娘で見にいった時のこと。
帰りに、父が突然「毎日飲んでいる牛乳屋さんが近くにあったと思うから、ついでに寄ってみよう!」と言い出した。車を降り「ここかな?あそこかな?」と言いながら、路地を何度か曲がると、住宅街にプ~ンっと牧場の匂いと言おうか、牛の匂いと言おうか、いわゆる牛のフンの匂いがどこからともなくしてきた。ただの牛乳配達店かと思いきや、その牛乳屋さんは、個人経営の小さな牛舎を持つ、牧場兼牛乳屋さんだった。
乳牛を数頭飼い、搾乳からパック詰め、配達までを全てそこで行っていたことに、私はかなり驚いた。父は地図を見て知っていたようで、住宅地でどうやって乳牛を育てているのかが、ずっと気になっていたらしい。せっかく来たので父と私は牛乳屋さんの引き戸を開けた。赤と白の真ん中に漢字で「○○牛乳」と書かれた出荷前の牛乳パックが、たくさん積み上がっていた。対応してくれたのは、少し強面の体の大きなおじさん、よく見るとそれは配達のおじさんであり、時々、私の家に来る、エプロンのポケットからジャラジャラとおつり銭を探す、集金のおじさんでもあった。おじさんの強面の顔に少し怯えながらも、後ろから背中を押す父に促され「いつも美味しい牛乳をありがとうございます…ここの牛乳が大好きです」と、消え入りそうな声で言うと、日に焼けたシワシワの顔がヌーッと近づき、ニカっと満面の笑みに変わった。私の頭をクシャクシャとなでると、「これ飲んでいくか?」と、冷えたフルーツ牛乳を取り出した。おじさんはキリ状の道具で、ポンッと軽快な音を立てると、一瞬でキャップを開けた。
赤と白のサンタカラーの牛乳パック、トナカイの代わりに牛を飼い、海の見える街で密かに牛乳店を営む、サンタクロースだったのだろう。
♪My Favorite Song
ミルク Chara