眼鏡越しの風景EP69-花畑-
- 2022/5/7
- yukkoのお眼鏡
全開の窓の向こう、目線の先には薄紫色一面のレンゲ畑。運転する父に、前座席の間から顔を覗かせ、「ホラ!ホラっ!」と窓の向こうを指さして興奮気味に言う。
「車、停めて~!」
「あぁ…通り過ぎちゃった」
後部座席で私が足をバタバタさせ、座席の上で何度ものけぞる。
「そんな急に、車は停められんからなぁ…」
困ったように父が言う。
普段は乙女な部分を持ち合わせない私なのだが。ある時、お友達が器用に作ってくれたシロツメクサの可愛い花かんむりを私の頭にそっと乗せ「お花の国のお姫さまみた~い」と言ってくれたことがあった。お揃いの花の首飾りも相まって、照れながらも、とてもうれしく、お姫さまのまま家に帰り、台所仕事をしていた母に「見て!見て!」とうるさく言ったものだ。さらにお花畑への憧れは続き、アニメ『アルプスの少女ハイジ』で、ハイジとクララが春になるとアルプスの山へピクニックへ出かけ、病弱なクララが楽しそうにお花を摘む姿、お花のじゅうたんに寝転ぶペーターが美味しそうに頬ばる、ライ麦パンのやぎのチーズのサンドイッチや、ハイジが駆け回り、勢いよくでんぐり返しをしていた色とりどりのお花畑、そんなことをしてみたく、私も近所の空き地の満開のシロツメクサで試してはみたが、白一色ではお花畑感が出ず、少し寂しい感じになってしまう。
その上、前日の雨が乾ききらず。シロツメクサのお花畑に座ったスカートのお尻は、お漏らししてしまったようにお尻の部分が丸く濡れてしまい、持っていたつばの広い麦わら帽子でお尻を隠しながら帰るという悲しいことになってしまった。そんな苦い思い出もあり、やっぱりお花畑のイメージには、華やかな一面満開のレンゲ畑なのだ。
「あーっ、お花畑で、お花を、つ、み、た、ーーいっっ」懲りもせず、相変わらず駄々をこねていた。
「次にレンゲ畑があったら、車を停めるかぁ…」と、父が仕方なし感満載でつぶやいた。父としては、とりあえずなんとなくレンゲ畑で、花摘みが出来れば、私の気が済むのだろうと、お茶を濁す感じで車が停めやすそうな適当なレンゲ畑を選んだ。もちろん私としてはどんなレンゲ畑でもいいという訳ではない。太陽がサンサンと当たり、明るく、広く、薄紫色が一面に溢れたレンゲ畑でなくてはならないのだ。なのに父といったら、日が陰ったような狭くて、ハズレのレンゲ畑ばかりに車を停める。もちろん私の理想とはほど遠く、まったくテンションが上がらない。それでは軽やかに飛び跳ねるハイジには到底なれないからだ。
そんなこともあり、大人の今も私は理想のレンゲ畑を探し続けているようなところがある。子どもの頃には、この季節になると満開のレンゲ畑をあちこちで目にすることが出来たが、今はほとんど見かけなくなった。雑草のように勝手に自生しているものだと思っていたのだが、実際は秋の稲刈りが終わった田んぼに『緑肥』として、レンゲ草の種を撒き、雑草を防止する役目や、花が枯れる前に花、実、茎、葉っぱから根っこまでを余すことなく全て、稲の植え付け前の田んぼにそのまますき込んで肥料として使っていたというのだ。科学肥料が発達した今は、もうレンゲは必要なくなってしまい、探しても探しても簡単に見つけることが出来なくなってしまった。
花びらの形が蓮の花に似ていることから『蓮華草』となり、蓮の花は極楽浄土に咲いている花という由来から、蓮華草の花言葉にも『心が和らぐ』とか『あなたの苦しみを和らげる』『私のしあわせ』といった癒しの意味が多くある。幼い私も遠くからレンゲを見るたび、一面に満開に咲くレンゲ草に近づき、囲まれたい衝動にかられてしまう、不思議な魅力に惹きつけられていたのだろう。
先日、京都へ向かう電車の車窓に、薄紫色に溢れたレンゲ畑が飛び込んできた。思わず昔の癖で「停めて~!」と声を上げそうになるのをグッと飲みこんだ。あれは確かに何十年ぶりかに見るレンゲ畑だった。懐かしさとハイジのお花畑への憧れを胸に秘めたまま、近くに広がるシロツメクサの花畑で、お茶を濁した。
♪My Favorite Song
花の名 BUMP OF CHICKEN