眼鏡越しの風景EP53-蘇生-
- 2021/9/25
- yukkoのお眼鏡
朝は、ほんの少しの違和感だった。
午後からの作業で数回屈んだあと歩き出すと、右鼠径部から前太ももにかけて歩くたびに痛みが走った。どうも屈んだ時に、朝のほんの少しの違和感を激痛へ、自分でトドメをさしてしまったようだ。
帰る頃には、ギコギコと油の切れたロボットみたいに歩いていた。痛さで脂汗をかきながらも、なんとか家に辿り着き、横になったのはいいが、足を伸ばすも、曲げるも、右も左も、仰向けやうつ伏せも、どの角度、どの体勢も痛い。そのうち炎症がひどくなってきたのか、ズキズキと脈まで打ちはじめた。
結局そのままほとんど眠れず、真夜中にすがる思いで、いつも体のメンテナンスをお願いしている最後の砦「ゴッド姉さん」神の手を持つ先生に助けを求めた。
翌朝、午後診の最終枠で予約が取れた。でかけるにしても、まずパンツや靴下がなかなか履けず、着替えに恐ろしく時間がかかる。痛みのある右足を自分の両手で補助し、足を持ち上げなければならず、自分の足なのにただぶら下がっている別物のように感じる。自分で自分を介護しているかのような状態だ。
普段なら、自転車で向かうところだが、さすがにこの状態では難しく、バスと電車で行くことにした。公共交通機関を使うと乗り換えなどで、徒歩区間がちょこちょことあるが、歩くのもまた驚くほど遅い。駅では通行人に追い越され、杖をついてゆっくり歩くおじいちゃんや、手押し車を支えに歩くおばあちゃんにも、追いつかれ、追い抜かれていく。気が付くと、一緒に降車した乗客たちはホームから誰もいなくなっていた。
電車の乗り換えにも間に合わず、ホームの点字ブロックのわずかな段差さえ超えるのが困難だった。いつもは何気なく行き来する場所のエレベーターや、普段頼ることのない階段や通路の手すりは、掴みたいと思った時に目の前にあり、なんとありがたいことか。元気な時はなんともない電車の乗り換え通路が、歩いても歩いても一向に着かず、途中休み休み何度も肩で息をしながら、遠くに見える改札を目指した。
幼い頃から股関節のハマりが少し甘いところがあり、右足は普段から要注意なのだが、20歳の頃にも右足の激痛により早朝救急車で運ばれたことがあった。救急車は病院までの片道切符、帰りはもちろん自力で帰らないといけない。西洋医学や東洋医学総動員で数時間の処置が終わり、お昼過ぎには痛みに耐えながらも、なんとか歩いて帰れるほどに回復したのはいいのだが、運ばれた時は激痛で意識が朦朧、そこまで気が回らず、靴を持ってくるのをすっかり忘れていた。服はパジャマにカーディガンを羽織っただけ、起きたままの姿ということに今さら気づく。
「あの…靴を忘れて来てしまって…」と、
「〇〇医院」と大きくマジックで書かれた緑の薄いスリッパで立ち尽く私に、看護師さんは驚き、笑いながらもすぐに状況を察し、「スリッパでよければ、どうぞ」と言ってくださった。お金もあまり持ってきておらず、タクシーにも乗れず、帰りは電車に乗ったのはいいが、寒空にカーディガンの薄着、寝起きの髪の毛を手で押さえながら、まるで病院から勝手に脱走してきた患者のよう、言い訳のしようがないほどのハマり具合だった。歩くたび、緑のスリッパがコントのようにペタペタと音を立て、足裏はアスファルトの冷たさと感触がそのまま伝わってくるようだった。
元気な日常では気づかない、街中のバリアフリーの取り組みや、デザイン性を維持しながらも、掴まり易いユニバーサルデザインの波型手すりや家のトイレにさえ「なんでこんなところに手すり付いてるんだろう?」と、長年思っていたけれど、今回のように支えがいる時には、どれもとてもありがたかった。
さて、今回はどうする?
救急車で運ばれて以来のまぁまぁのピンチ。夜中に、悲壮感漂うすがるような絶望的なメールを送っていたのもあり、扉を開けると、ゴッド姉ちゃん先生は
「よし!キターーー!」とばかりに満面の笑み。
「痛すぎて、もう歩けませんっっ」と私は涙目。
生まれたての小鹿のように恐々ゆっくり動き、先生の指示に従い、右向き、左向き、仰向けと体勢をほんの少し変えていく。
「イタタタタッ」と声を絞りだすと、先生が「ハハハハハ~!」と高らかに笑う。
まだ施術前の体勢移動だけで、足はめちゃくちゃ痛いけど、この状況がなんとも可笑しく、私も釣られて「ハッハッハッ…ハハハ」「イテテテテッ」。
痛さで気持ちが沈んでいたのに、天井高の広い部屋に二人の笑い声が響くと、病は気からなのか不思議と元気が出た。幸い、先生のゴッドハンドのおかげで、翌日には痛みも薄れ、3日目にはスタスタ普通に歩けるようになり、今はすっかり元気だ。
当たり前は当たり前でなく、どこへでも行ける幸せを噛みしめながら、小さくスキップした。
♪My Favorite Song
蘇生 Mr.Children