眼鏡越しの風景EP46-遠投-
- 2021/6/19
- yukkoのお眼鏡
人参、ピーマン、ほうれん草。
小さい頃は好き嫌いが激しくずいぶん食の細い子供で、周りの子供たちに比べて食べるのも遅く、家でも保育園でもとにかく食事の時間は毎日苦痛だった。大人になってから、料理をしたり、美味しいものを探求し、人一倍食に興味を持つことになろうとは、幼い頃には思いもしなかった。
夕食時。
食べ終わったお皿はすべて片付けられ、嫌いなおかずと向かい合ったまま、食卓での居残り時間が始まる。少し遅れてやって来た父が「もう食べられないのやろ?」と、時折助け舟を出しくれ、居残りごはんから解放してくれた。そんな母の少々スパルタな食育もあり、小学校に上がるまでに、好き嫌いはほとんど克服した。しかし、どうしても食べれないものがあった。それはお正月によく見かけるお煮しめの「昆布巻き」祖父母と同居していたわけでもない核家族の我が家で、誰の好みなのか「昆布巻き」や「鯛の子」「野菜の煮びたし」など、お酒のアテのような渋めのおかずがよく食卓にのぼっていた。ここは小料理屋かっ!
「ん?この匂いは!?」
食卓にはかんぴょうの帯をクルリと巻かれ、澄んだお出汁に浸かる艶やかな昆布巻きが鎮座していた。白い湯気はうっすらと、暖色のペンダントライトに吸い込まれるように立ち昇っていき、「美味しそう!」と感嘆の声を上げるであろう場面だが、私には長い長い悪夢の始まりに思えた。巻かれたかんぴょうと昆布をお箸でチビチビと分解し、鼻をつまんで咀嚼してみたり、噛まずに麦茶で流し込んだり、ありとあらゆる方法でこの苦境を乗り切ってきたが、小学3年生にもなると、妙な悪知恵を身につけてしまった。母は子供たちにご飯を食べさせながら、いつも忙しく家事をしていることが多く、キッチンと洗面所を行ったり来たりしながら、よく洗濯機をまわしていた。食べる振りをしながら空っぽの口の中をモグモグ動かし、母の動きをチラチラ見てはほんの数分の隙を狙う。
「よし!今だっ」
急いでテーブルの上にテッシュを数枚重ね、お箸で昆布巻きのお出汁を絞り、その上に置く。目の前にはこれまた昆布巻きに手こずる弟の冴えない顔、姉弟揃って昆布巻きが嫌いなのだ。弟の昆布巻きもヒョイっとお箸で持ち上げると、彼は目を丸くして驚いていたが、姉が何かとんでもない悪さをしようとしているのを、幼いながらに感じ取り「それ、どうするの?」と小声で言った。
折り紙を折るように両端を折り込み、縦にクルクルと巻く。それを横長の球体に仕上げ、手でギュッと握りしめ、窓辺で大きく振りかぶると、プロ顔負けの強肩で裏山へ投げた。食の神様が知ったら確実に大目玉、ゴミを捨てることも完全にアウトだ。こんなことをしていたにもかかわらず、包むのは紙やテッシュの天然素材のものを選び、昆布巻きと共に時間が経てば、自然に還ると信じているところが浅はかだ。
家の窓からは、庭→子どもの背丈ほどの白い柵→2m幅の裏道→植え込み→緑のフェンス→裏山、と越えなければならない5つの関門があり、必死さ故の小3女子の当時の遠投力には今も驚くばかりである。その後も二度ほど、そんなことをやらかしていたが、一度飛距離が届かず、裏の道に落下してしまったことがあった。赤い道に落ちた白い昆布巻きボールが子供部屋の2階の窓から見え、母に見つかってしまわないかとその夜はドキドキしながら布団に潜り込んだ。翌朝はかなり早起きし、家をそっと抜け出して昆布巻きを回収した。
母は洗濯を終え、食卓に戻ってくると、さっきまで二人のお皿にいつまでも残る昆布巻きがなくなっていることに気づき、「あれ?食べたの?」と言いながら、私の目をじっと見つめ「怪しいっ…捨ててないやろうね?」と、流しやごみ箱の中を覗き込んだ。「がんばって食べたんだよねっ」と、私は弟に念押しするように語尾を強め言った。その姿は、同じように昆布巻き嫌いな弟を思う優しい姉などではなく、「お姉ちゃんが捨てたー!」と告げ口されるのを防ぐ為、弟も共犯にしてしまったのだ。母はかなり怪しんでいたが物的証拠がなく、その日は無罪放免となった。それから幼い弟はあの時の出来事がよほど衝撃的だったのか、何日も経った夜寝る前や、母と一緒にお風呂に入っている時など、全く違うシュチュエーションで、思い出したように突然話し出すことがあった。拙い会話力で「お姉ちゃんがなぁ~、昆布投げてん」と、そのたびに私はヒヤヒヤしていたが、母は何を言っているかわからなかったようで、昆布巻き事件はそのまま迷宮入りとなった。
初夏。
裏山にヤマモモがたわわに実り、甘い匂いがしてくると、父が緑のフェンスを越え私をヤマモモ狩りに誘った。子どもの背丈ほどある雑草を分け入った先に、手つかずの大きなヤマモモの木があった。途中、白い昆布巻きボールが朽ち果てず、土に還っていなかったら、父に見つかってしまうと、私はヤマモモ狩りどころではなかった。もちろん広い裏山でそんなものが見つかる確率などほとんどないが、悪いことは出来ないものだと、もう二度と昆布巻きを捨てないと心に誓った。
またこの季節が巡り、落ちた実はアスファルトを赤く染める。すっかり大人になった今でも昆布巻きは食べれないが、むせかえるような甘いヤマモモの匂いに、少し胸が痛む。
♪My Favorite Song
嘘月 ヨルシカ