眼鏡越しの風景EP33-内緒-
- 2020/12/19
- yukkoのお眼鏡
あれはいつの頃か、まだ私は小さく保育園に通っていた。
日が暮れるのもずいぶん早くなり、空には冬の気配が漂っていた。
フルタイムで忙しく働く母のお迎えはいつも閉園時間ギリギリ。
滑り込みセーフの時も多く、先生と二人、もしくはリョウタ君と三人、仲良しのリョウタ君も常連さんの居残り組。
みんなが帰った後のガラーンとした教室で、先生を独り占め出来るこの時間は、お得感さえ感じていたほどで、寂しさとは無縁のポジティブな子供だった。
それでもやはりそこは子供で、お迎えが来るとおえかき道具を放り出し、一目散に母の元へ駆け寄った。
「さぁ!帰ろうっか」と母が言う。
私はニコニコしながらうなずくと、お腹がグーっと鳴った。
「寒いっ、寒いっ」母は手編みの帽子と水色のミトンの手袋を私の肩に掛けると、小さな手にはめてくれる。
鼻の頭とほっぺは真っ赤な雪ん子スタイル。さっきまで一緒に居残ってくれた先生には気もそぞろ、チラリと振り返って小さく手を振り、あたたかな園を後にする。
二重丸のドーナツ模様が型押しされた道を歩いて帰る。
お砂糖いっぱいのドーナツが食べたいなぁ~、またお腹がググーっと鳴った。
薄暗いトンネルをくぐり、アスファルトの坂をずーっと上がって行った先、小さな団地がお家だ。
子供の足ではそこそこ距離のある遠い帰り道。
母も仕事の荷物や買い物袋を持っているので、自分の荷物は自分で持つのが母娘のルール。
父がお迎えの日は全部持ってくれる。
背の高い父が保育園バックを肩に掛けた後ろ姿は、まるで大きな子どもみたいで「お父さんも保育園行ってるん?」といつもケラケラ笑った。
トンネルに差し掛かると、母と私の内緒の儀式。
『今日のおやつ』
母が職場で貰ってくる、出張帰りの同僚や上司からのお土産。
社会人になってから気づいたことだが、職場で配られるお土産はだいたい一人一つ。
母は食べずに私の『今日のおやつ』にしてくれていた。
もちろんおやつは不定期で、職場のお土産は毎日あるわけではない。
夕飯前の子ども小腹を満たすのに、お土産は絶妙な大きさでちょうどいい。
「歩きながらは、お行儀が悪いけどね…」と気にしつつも、おやつを食べるのはいつもトンネルの中。
トンネルの薄暗さが、お行儀を気にする母にとって、躾のギリギリのラインだったのだろう。
短いトンネルに街灯はなく少し怖い、いつもは苦手なトンネルも、おやつのある日は、楽しみな場所になっていた。
「わぁ~なになに!」待ちきれず背伸びしながら母の手にまとわりついた。
綺麗な薄桃色の包み紙を開けると、中には薄いアルミ箔。
柑橘系の甘酸っぱさと、甘~いバターが香る、手のひらほどの棒状のケーキ。“シャリシャリ”と薄いアルミ箔の包みが擦れる音がトンネルの中に響いた。
子供の手ではうまく剥がれず、アルミ箔には薄すらとケーキの膜が付き、指先は油でテカテカと光った。
「おいしいね!」「ウフフフフッ」
おやつを食べながらのコソコソ話はトンネルの壁で反響し、ちょっぴり大きなナイショ話となった。
エネルギーチャージ完了!
「寒い、寒い、はよ帰ろう~!」トンネルを飛び出すと、私はまた坂道を元気よく駆け上がった。
“シャリシャリシャリ”
冬に思い出すこの音は遠くからやって来る、サンタクロースの鈴の音に似ている。
ある日、会社で配られたお土産の中に、あのシャリシャリの音色を見つけた。
何十年ぶりに聴くあの懐かしい音にふと仕事の手を止め、あの日のナイショ話を思い出していた。
♪My Favorite Song
帰りたくなったよ いきものがかり