眼鏡越しの風景EP32-遭遇-
- 2020/12/5
- yukkoのお眼鏡
あれは3年前の冬、年末も近く残業で遅くなった私は自転車で帰り道を急いでいた。グラウンドのある広い公園の横を、いつものように通り過ぎようとしたところ「あれ?今のなんだろ?」それは黒く、こんもりとした小さな山だった。
グラウンドの奥は暗がりになっていて、ここからだとよく見えない。自転車を停め、近づいていくと黒い塊は遠目で見るより、明らかに大きく、微かに動いていた。
次の瞬間、シルエットだった謎の巨大生物が、街頭の光に照らされ一気に色を帯びると、硬い毛に覆われた質感と、大きな体が視線の先いっぱいに飛び込んできた。
「イッイッイノシシだっ!!!」
心の中は大パニックだが、この距離で突進されたらひとたまりもない.
人間の危険察知能力もなかなかで、「キャー!」という声を手で押し戻し、手のひらで口を覆った。ゆっくり後ずさりし、停めてあった自転車に戻る。立てかけてあった自転車のスタンドを、そおっと足で外すものの、“ガッチャン!”こんな時に限って、解除音がやたら元気よく鳴り響く。目をやると、草を食むアイツの動きが一瞬止まっていた。私はそのまま視線を外さず、息を飲み、全身の動きを空気と一体化させる。今流行りの“全集中!壱ノ型、なんとかの呼吸!”ってやつを、もうこの時すでに私は習得していたかもしれない。またアイツは何事もなかったように、グラウンドに少し残る草を鼻でつたいゆっくりと歩き出す。早足で自転車を押し、視線から外れるように角を曲がると、自転車に素早く飛び乗り、仕事の疲れも忘れ全力でペダルをこいだ。なんとか交番へ駆け込み「あの!あのぉ!えーっと、公園にイノシシがいます!」と、冬にもかかわらず汗をかきながらゼーゼー駆け込んだ私とは真逆のテンションのおまわりさん。机の書類からゆっくり顔を上げると、「数日前から罠をしかけているんだけど、イノシシも賢くて、なかなか捕まらなくてね~」と呑気な返事だった。「市とも相談してるから、少しの間、気を付けて帰るようにして下さいね」とのことだった。この私の慌てっぷりと恐怖の感情をどこに持って行っていいのかわからず、微妙な気持ちでその夜は帰った。
数日たち決戦はすぐにやってきた。その日は忘年会帰り、美味しいものを食べ、宴の余韻に浸りながら陽気な気分で鼻歌を歌いながら、交差する大きな桜並木に差し掛かった。落葉した桜の枝を夜風が揺らし、街灯の明かりをチカチカと遮った。その光を背に受け、一直線に延びたアスファルトの上、巨大な黒い影が真っ直ぐこちらを見ていた。「あっ!」小さく短い声をあげると、目がギラっと不気味に光った。「しまった!気づかれたっ…」鼻を鳴らす音が連続して聞こえ、アイツも私も固まったまま動けない。「目を逸らしてはいけない」野生動物に遭遇し、助かった人がテレビで言ってたのを思い出した。私自身も山で何度かイノシシに遭遇したこともある、大声をあげたり、走ってはいけないことは知っている。でもここは山ではない、なんなら思いっきり住宅街だし、よりによって、なんで対峙してるのが直線道路なんだよ。と、頭の中はいろんな豆知識とこの不運への愚痴で大渋滞だ。「そろそろ覚悟はいいかっ!」と言わんばかりに、右に左に体を揺らしながらゆっくりとこちらに近づいて来る。誰もいない助けも呼べない、『大ピーンチっ!』信じるのは自分だけ、気合いを入れ直し、目に力を込めて睨み返す。視線を外さないよう足だけ動かし、ゆっくり後ずさりする。そのまま歩幅を大きく、速度を少しずつ上げる。桜並木が途切れたところで、右側に素早く向くと同時に、音を立てず猛ダッシュ、そのまま建物の駐車場に逃げ込む。恐々と後ろを振り返る、追っては来ない、逃げ切れた。急いでエントランスまで向かおうと角を曲がる。ホッとしたのも束の間、1ブロック向こうの駐車場の陰から、奴がタッタッタッと横切る姿が見えた。まさか追ってきてる???。ギョッ!としながら、また駐車場の柱に隠れてやり過ごす。いつどこから現れるかわからないので、マンションにたどり着くのに、スパイ大作戦さながらのサバイバルな帰り道となった。
それから10日ほどして、年末押し迫る頃にアイツは捕まった。
そんなに悪い奴ではなかった。
アイツもきっと怖がりで臆病な奴さ。
♪My Favorite Song
決戦は金曜日 DREAMS COME TRUE