眼鏡越しの風景EP31-弦月-
- 2020/11/21
- yukkoのお眼鏡
『暮らすように旅する』
街の風景と行き交う人々の日常.
買い物袋を提げ足早に過ぎ行くお母さん.
学校帰りお喋りに夢中の小学生.
グラウンドでは野球部のノックの音が夕焼け空に響く。
軒先で夕涼みするおばあちゃん.
駅から流れ家路を急ぐサラリーマン.
たまには飲みに行こうかと、夜の街に消えていくスーツの後ろ姿。
目を閉じると暮らしの音や匂い。
車のクラクション、バスの降車音、ガタンゴトンと遠ざかる電車。
おでん屋のお出汁、焼鳥屋の焦げた脂の匂い。
そのひとつひとつが街を構成する細胞となり、血潮がドクドクと隅々まで流れているように感じる。そんな街の空気を引き連れての独り散歩は、知らない街を旅する私のルーティン。
同じ場所へ出張する際、今回はここ、次回はあそこと、泊まるエリアを毎月転々と変え、いろんな駅に滞在してみる。切り取った日常の1コマとして存在するかのように、毎朝、地元の通勤者と同じ満員電車に揺られる。よそ様の街を自分の街のようにしたり顔で歩くのは妙に楽しい。宿にチェックインすると、洋服をスーツケースから備え付けのクローゼットへ移し替える。今日からの数日ホテルが『わが家』に代わる気持ちの切り替えスイッチだ。
ホテル暮らしが長くなると、足を伸ばせる大きなお風呂が恋しくなり、散歩のついでに銭湯を探す。女性ひとり、遠くはるばるお風呂に入りに来たというと、珍しがられることも多く、お風呂屋のおじいちゃんやおばちゃんとは、いつもすぐに仲良くなる。「昔はこの辺りも炭鉱で栄えていたけれど、人も少なくなり、今は寂れてしまってね…」と、おじいちゃんの顔には寂しさと懐かしさが浮かんでいた。つかの間、そんな町の今昔物語に付き合っていたが、湯冷めしない内にそろそろ帰ろう。「また出張があれば、お風呂入りに来ますね」と半乾きの髪、上気した顔でニッコリ笑う。大きく“ゆ”と書かれた色褪せた暖簾を避けて外へ出る。
月が綺麗だ。
宿に戻ると、北海道の親戚を見舞う帰省途中の友から電話があった。電車がずいぶん遅れ、乗り換駅でひとり待ちぼうけをしているという。夏の終わり、振り絞ったような最後の暑さとなった九州と、昨日から急に肌寒くなったという北海道。「薄着で来てしまって、しっぱ~いっ」と彼女は電話口で苦笑いをしていた。北と南の端で鮮明に聴こえる声、文明の力の偉大さに、感服せずにはいられなかった。ガランとした静かな田舎町の宿で聞く友の声は、私をどこかホッとさせる。
遅れていた電車の音が遠くから聴こえ「えっ…さみし~いっ…誰も乗ってないよっ」と彼女は小さく驚き、またクスクス笑った。町外れの小さな灯りがポツリと灯るホーム、寒そうに佇む彼女の姿が不意に『銀河鉄道の夜』の物語を思い出させた。一緒に旅する主人公ジョバンニが車窓の夜空に見とれていると、友だちのカムパネルラがどこかに消えてしまうシーンだ。
電話口から「じゃあ、またね」という彼女の声に気づき、私は慌てて「帰ったらまた、神戸でね」と、次会うことを確かめるように言葉を残し、電話を切った。
おかえりとただいま、まだ長い旅の途中。
♪My Favorite Song
星めぐりの歌 大貫妙子
(作詞作曲 宮沢賢治)