「3月17日神戸空襲」B29は一機も落ちない中B29に体当たりして墜落させたパイロットがいた
神戸三宮から車で十数分、ビーナスブリッジを越えて再度山の頂上付近に弘法大師大願成就のお寺(大龍寺)がある。この大龍寺の長い坂道と石段を登った先には、陸軍中佐緒方醇一戦死之地の碑がある。
高空性能の低かった日本戦闘機
B29は、一万メートルの高度をゆうゆうと飛んでいたが、「飛燕」のエンジンでは出力がおち、その高度に達するのがむずかしかったという。
そのため、各戦隊に体当り専門の飛行小隊を編成、一万メートル以上の高度に届くように防弾鋼板をはずし機銃もはずしていたという。
陸軍中佐緒方醇一(じゅんいち)戦死之地
この碑は昭和20年3月17日未明、米空軍B29の編隊による神戸大空襲の際、防空任務にあたりし第56戦隊・飛行隊長緒方醇一大尉が体当りして墜落し、そのB29の機体の中に小型の日本戦闘機が交ざっていて緒方大尉「飛燕」が確認された場所であり、平成11年、元第56戦隊長・古川良治少佐が建てられたものである。
緒方の赫々たる武勲は個人感状授与と共に軍神として全軍に布告されたものである。迎撃戦闘を目撃された再度山大龍寺・井上仁性住職は「燃えさかる神戸だけが赤々と浮かび、その他は真っ暗な空と海の方から編隊は隊形を崩すこくなく頭の上を通過していく。B29は一機も落ちない。
神戸の海から六甲の山を悔しく眺めるだけであった。その時、突然閃光と共に一機が飛び散った。
寺から再度山と再度谷にかけて寺の西側に広範囲に散ってきた。撃墜されたB29の機体の中に小型の日本戦闘機が交ざっていて操縦者が確認された。それが緒方大尉である。壮絶な光景に何も考えられなかった」と。
怨親平等
恨みを忘れ、敵・味方を超え仲良くするようにと教える仏教の言葉である。
緒方中佐の遺した文に「葉隠」についてのものがある。私は佐賀・葉隠の士族出身であり、またこの碑を建てられた第56戦隊・戦隊長の古川良治少佐も同じく佐賀・葉隠出身。武人、軍人として戦闘相手を称える精神を踏まえ、緒方中佐が体当りしたB29の11名の米空軍の勇士を探し求め、その名を記録してこの地に残したいと願い、「陸軍中佐緒方醇一戦死之地」の碑の傍らに建てた。
陸軍士官学校第53期 元57師団参謀 従六位勲五等 陸軍少佐 松本重夫