地図に残る巨大土木事業「山、海へ行く」街の中にベルトコンベヤがあった
ポートアイランドや神戸空港、六甲アイランドを埋め立てるための土砂は、名谷山や横尾山、高倉山などをけずり、須磨ベルトコンベヤで海岸まで運ばれ、その後、船で埋め立て地まで運ばれたという。
ベルトコンベヤの歴史
昭和39年(1964年)1月16日にベルトコンベヤは稼動を始めた。設置当初の長さはわずか1.4kmだったが、工事が進むにつれどんどん北へと延長されていき、14.5kmもの一大コンベヤとなったという。
平成17年(2005年)9月12日までの約41年間で運搬した土は5億7千万トンにおよぶ。
地図に残るベルトコンベヤ跡
須磨一の谷グリーンハイツの看板には今もなお、ベルトコンベアーと記載されており、この看板を元に通っていた場所を巡るのも一つの楽しみではないでしょうか
鉄拐山トンネル近くにある当時の現場事務所跡
鉄拐山トンネル近く東側に少し行ったところ、当時はこの場所にベルトコンベヤの現場事務所があったのだという。
当時の柱の土台が残る名谷
名谷駅から程近い須磨消防署北須磨出張所から名谷団地方面を見ると線路内にコンクリートの土台が残っている。
名谷団地に長年住む住民の話では、ここをベルトコンベヤが線路を越えて団地の間を通っていたという。
地図を見ると48号棟や49号棟が他の建物と違い斜めに建てられているのがわかる。
神戸大学医学部保健学科の地下に残るベルトコンベヤのトンネル
今回取材できなかったが、神戸大学名谷キャンパスの地下には、幅6.3m、長さ250mの地下トンネルが、医学部保健学科のグランド地下を今も縦断しているという。
神戸のニュータウン建設はこのベルトコンベヤなくしては語ることができない。名谷キャンパス地下のトンネルは神戸の歴史上非常に重要なトンネルと後世に語り継がれるだろう。