国会議事堂の尖塔のモチーフが神戸にある?!
現在の国会議事堂は1936年(昭和11年)に帝国議会議事堂として建設されたが、その中央部分の尖塔のモチーフは実は神戸にあった?!
国会議事堂の実質的デザイナー「吉武東里(よしたけとうり)」
大分の士族の家に生まれる。京都高等工芸学校(現京都工芸繊維大学)で武田五一に建築を学び、1907年卒業。1910年、宮内省内匠寮技手に就任。
1918年(大正7年)、国会議事堂の公開設計競技(議院建築意匠設計懸賞募集)に際して、宮内省内匠寮の有志が数案を作成した。建築設計競技に際しては内匠寮職員から提出された一等案・三等案のいずれにも関与したとされ、デザインに巧みな吉武はその中心だったと言われる。
ウィキペディア(Wikipedia)
帝国議会誕生の歴史について学ぶ
吉武東里は帝国議会誕生の歴史を学び、初代内閣総理大臣である伊藤博文の大きな存在感に気づき、伊藤博文関係の史跡について調査を行ったという。
吉武東里の師「武田五一(たけだ ごいち)」
京都帝国大学工学部建築学科の初代教授「武田五一」は、明治44年(1911年)に建てられた、大倉山公園にある伊藤博文の銅像の台座を設計した設計者である。
吉武東里は自らの恩師の設計した台座を見て国会の頂きに飾るに相応しいと感じたのでしょう。
これは現在まで続く政治家への吉武東里からの先人の多大な功績を見習った政治をして欲しいと願うメッセージなのかもしれない。
参考・参照サイト
参考・参照文書
神戸の歴史 第27号