※アイキャッチ画像引用:震災記録写真(大木本美通撮影)
神戸市民球場
1928年に昭和天皇の即位を記念した御大典記念行事の一環として建設された総合公園の中の一つの施設で、戦前からプロ野球(職業野球)の公式戦を開催し、戦後は1954年に新日本リーグ(セントラル・リーグ2軍のリーグ戦)阪神ジャガーズ(大阪タイガース二軍)の本拠地球場として使用されていたという。
公式戦初開催は1939年5月14日阪神-巨人が行われ、以降30試合の公式戦が行われたという。
球場の近代化により衰退
1952年に阪急西宮球場にナイター設備が完成、1956年には阪神甲子園球場にもナイター設備が完成し、1988年には須磨区北部の丘を切り開いてできた総合運動公園にグリーンスタジアム神戸が完成、プロ野球で使われる球場の近代化が進められたため神戸市民球場は草野球中心で使用されるようになったという。
1995年1月17日阪神淡路大震災
1995年1月17日5時46分52秒、神戸市民球場にも運命の時が来た。
淡路島北部の明石海峡を震源としたM7.3の大地震が発生、神戸市民球場の周辺長田区では甚大な被害が発生した。
神戸市民球場内に西代仮設住宅が設けられた
震災に被災した人々の為に球場内には仮設住宅が設けられた。災害復興恒久住宅が完成したことを受けて、その役割を終えたことから2000年で閉鎖されたという。
神戸市民球場跡地の現在
神戸市民球場跡地は現在では、「西代蓮池公園」として生まれ変わっている。公園内にはウォーキングコース(1周556m)・広場・複合遊具・流れ・池・トイレ・駐車所(有料)などがあり、市民の憩いの場として親しまれいます。