初代兵庫県知事 伊藤博文
慶応4年5月23日に伊藤博文は初代兵庫県知事に就任して、明治2年4月10日まで務めた。
(西暦に直すと1868年7月12日から1869年5月21日)また、兵庫県神戸市兵庫区中之島にあった兵庫城を兵庫県庁として利用、現代の中央区花隈町3に居住し兵庫城まで通っていたようです。
伊藤博文が兵庫県知事に就任したのは27歳という若さで「坊主奉行」とも呼ばれていたとも。その後に、鉄道開通や貨幣法の制定など新国家設立のために尽力し後に、初代内閣総理大臣に就任しました。
参考:西暦和暦変換
参考:歴代兵庫県知事
参考:初代兵庫県知事 伊藤博文寓居跡
伊藤博文について
いとうひろぶみ【伊藤博文】
(1841~1909) 政治家。長州の人。初名は俊輔。松下村塾に学び、討幕運動に活躍。明治政府にあって、帝国憲法の制定、天皇制の確立に尽力。初代首相・枢密院議長・立憲政友会総裁などを歴任。組閣四度に及び、その間日清戦争を遂行。1905年(明治38)初代韓国統監。ハルビンで安重根アンジユングンに暗殺された。
参考:コトバンク
兵庫城について
神戸港の西に兵庫港という港がある。兵庫港は江戸時代まで良港として栄えた兵庫津の跡で、また平清盛が遷都とした福原京がある。南北朝時代には戦いの中心となり、また北側には山陽道が通り、海陸の集散地でもあり交通の要衝でもあった。兵庫城が城として機能していたのは短い期間で、明治時代以降には兵庫港の大規模な改修や、近代以降の都市化により遺構は失われてしまった。
参考:ウィキペディア(Wikipedia)
兵庫城をARで楽しめる初代兵庫県庁舎ナビ
2018年に兵庫県が誕生から150周年を迎えることを記念し、初代兵庫県庁舎をカメラ越しに体験できるアプリがあります。
兵庫県神戸市兵庫区にある「兵庫城跡」石碑の横にあるARマーカーを読込み、新川運河に向けてスマートフォンをかざすと、CGで再現した往時の県庁の姿が現実の風景に重なって浮かび上がるという。
参考:ARアプリ『初代兵庫県庁舎ナビ』
大倉山に伊藤博文の銅像があった!
伊藤博文の銅像は、大倉喜八郎(大倉財閥)が銅像を建てて公園として市民に開放する条件で自身の別荘を神戸市に寄付し、1911年(明治44年)に建造され大倉公園が開園した。
銅像はフロックコートを着用し、自身が起草の中心となった帝国憲法草案を手にするもので、高さは3.03mもあったという。
第二次世界大戦中に金属供出され、現在の大倉山公園には銅像の台座だけが残されている。
大倉山公園:〒650-0017 兵庫県神戸市中央区楠町7丁目